現場は顧客の変化に気づいています。なのに、会議に上げると「実績がない」「どの部門が持つのか」で止まります。この停滞を「うちは適応力が足りない」の一語で片づけないための理論が、ダイナミックケイパビリティです。変化への対応力を、感知(センシング)・捕捉(シージング)・変革の3つの能力に分けて点検します。
足りないのは情報量ではありません。変化を捉えること、機会を選ぶこと、資源と組織を動かすこと。この3つがつながっていないことが、多くの停滞の正体です。
この記事では、Teeceらによる定義を押さえたうえで、通常能力やコアコンピタンスとの違い、両利きの経営との関係、進行中の新規事業案件への当てはめ方までを扱います。
ダイナミックケイパビリティとは何か
ダイナミックケイパビリティとは、変化する環境に合わせて、社内外の能力や資産を統合し、構築し、組み替える企業の能力です。
David J. Teece、Gary Pisano、Amy Shuenは1997年の論文で、急速に変化する環境へ対応する企業の能力として論じました(Strategic Management Journal, 19971097-0266(199708)18:7%3C509::AID-SMJ882%3E3.0.CO;2-Z))。問われているのは、優れた製品や設備、特許、人材を「持っているか」だけではありません。持っているものを、環境に合わせて組み替えられるかです。
身近な場面に置き換えてみます。営業部門が顧客接点の変化をつかんでも、開発計画に反映されず、予算も動かなければ成果にはなりません。経営が新領域への進出を決めても、必要な技術・販売経路・外部パートナーを組み合わせられなければ、実行はそこで止まります。
誤解されやすい点をひとつ挙げます。「ダイナミック」は、組織を常に変え続けることを意味しません。守るべき能力と変えるべき仕組みを見分け、必要な局面で資源配分や組織の形を動かします。その判断までを含む概念です。
経済産業省・厚生労働省・文部科学省の「2020年版ものづくり白書」も、企業変革力を考える文脈でダイナミック・ケイパビリティを扱っています。製造業だけの生産管理手法ではなく、変化に対応する経営の能力として位置づけられている理由がここにあります。
通常能力・コアコンピタンスとの違い
品質を保つ、生産量を計画どおり確保する、問い合わせに素早く応える。こうした日々の業務には、習熟した人材、標準化された工程、管理指標が効きます。これが通常能力です(Teece、2007年)。
ところが、顧客が求める価値や競争の条件が変わると、既存業務を正確に回すだけでは足りなくなります。販売経路を変える、異なる技術を取り込む、意思決定権を別の部門へ移す。場合によっては、従来の強みをあえて使わない選択も必要です。
では、コアコンピタンスとは何が違うのでしょうか。PrahaladとHamelは1990年の論文「The Core Competence of the Corporation」で、複数の製品や事業へ展開できる組織能力を論じました。コアコンピタンスが「組織固有の強みは何か」に焦点を当てるのに対し、ダイナミックケイパビリティは、その強みをいつ使い、何と組み合わせ、どこを更新するかという能力です。強みそのものと、強みを動かす力の違いだと言えます。
ダイナミックケイパビリティを構成する3つの能力
ダイナミックケイパビリティは、機会と脅威を感知するセンシング、機会を捉えるシージング、資産や組織を組み替える変革の3つに整理できます。
Teeceは2007年の論文で、ダイナミックケイパビリティの基礎を、機会と脅威を感知・形成すること、機会を捉えること、競争力を維持するために資産を強化・結合・保護・再構成することに分けました(Strategic Management Journal, 2007)。実務では、それぞれをセンシング、シージング、トランスフォーミングと呼ぶ整理が使われます。
センシング|変化を情報ではなく仮説へ変える
センシングは、顧客・技術・競合・規制・取引構造の変化を捉え、機会や脅威の仮説へ変える活動です。市場調査を一度やって終わり、ではありません。顧客の代替行動、営業現場で増えた質問、研究開発部門が見つけた新しい用途、社外人材の知見。異なる接点から、まだ弱い変化の兆しを拾います。
注意したいのは、情報量が増えても、意思決定につながる形に編集されなければ機能しないことです。「市場が伸びている」で止めず、誰のどの行動が変わったのか、何を確かめれば機会と判断できるのか、そこまで書き切ります。
シージング|選び、資源を投じる
シージングは、見つけた機会のうち何を選び、事業モデル・投資・提携・開発の判断へ進める活動です。誰に何を提供し、どこから収益を得るのか、内製と外部連携の境界、撤退条件まで決めて、機会を事業の選択に変えます。
ここで障害になりやすいのが、「可能性がある案は残しておく」という態度です。複数案を保留し続けると、人員も予算も薄く広がり、どの仮説も確かめ切れません。選ばなかった案とその理由を記録することも、シージングに含まれる判断です。
変革|資産・役割・判断基準を組み替える
変革は、選んだ機会を実行するために、資産・組織・業務・権限・外部との関係を再構成する活動です。既存技術を別用途へ移すなら知的財産と開発責任を決め、社外企業と組むなら情報の境界と意思決定者を定めます。
全社組織をつくり直す必要はありません。権限が原因なら、会議体を変えます。顧客接点が足りないなら、提携先を加えてください。既存事業の評価基準が探索を止めているなら、評価期間と判断材料を分けます。変えるのは、詰まっている箇所だけで構いません。
ダイナミックケイパビリティと両利きの経営との関係
両利きの経営は「探索と深化を組織内でどう扱うか」を問い、ダイナミックケイパビリティは「変化を感知し、捉え、組織を組み替える能力」を問います。 関連はしますが、同義ではありません。
James G. Marchは1991年の論文「Exploration and Exploitation in Organizational Learning」で、組織学習における探索と深化の緊張関係を扱いました。O'ReillyとTushmanは2004年の「The Ambidextrous Organization」で、探索組織を既存事業から分けながら経営チームで統合する組織設計を論じています。
両利きの経営が組織全体の運営方式を見るのに対し、ダイナミックケイパビリティは、センシングで変化を捉え、シージングで探索案へ資源を振り向け、変革で事業間の資産や役割を組み替える能力を見ます。
だからこそ、片方だけでは足りません。両利きの組織をつくっても、外部の変化を拾えなければ探索テーマは更新されないままです。逆に、変化を素早く察知しても、既存事業と新規事業の資源配分を決められなければ実行に移れません。二つの理論を重ねると、組織の形と、そこで働く経営の能力を分けて診断できます。
新規事業でダイナミックケイパビリティを使う方法
新規事業に適用するなら、一つの仮説について「変化の根拠・採否・資源配分・実行時に変えた仕組み」を同じ記録で追います。 以下は、Teeceの理論を個別案件の点検に使うための手順です。
やることはシンプルです。現在進行中の事業案を一つ選び、どの変化を根拠にし、誰が機会を選び、実行のために何を変えたかを追います。途中で止まった箇所が、追加で確認すべき能力の候補になります。あわせて、予算サイクル、規制・品質要件、技術成熟度、既存事業との優先順位といった案件固有の要因も切り分けてください。
- 変化の事実と解釈を分ける
顧客の発言、失注理由、利用行動、技術条件などの事実と、「これは市場機会になる」という解釈を分けます。部門間で解釈が割れたら、対立を消そうとするより、何を追加検証すれば判断できるかを決める方が先です。
- 選択の理由と資源配分を結びつける
採択理由だけでなく、投入する担当者・予算・期間・外部パートナー・次回判断日をそろえます。採択されたのに兼務者の空き時間だけで進んでいるなら、シージングはまだ完了していません。
- 検証結果に応じて変更対象を決める
顧客課題が確認できても提供能力が足りないなら、提携や技術導入も選択肢になります。どの能力を外から補い、何の判断を社内に残すかを決めます。
- 変えた後の結果を次のセンシングへ戻す
組織変更や提携を実施したら終わり、にしません。顧客の反応、意思決定の速度、現場の負荷がどう変わったかを観察します。期待した変化が出なければ、機会の解釈か、資源配分か、変更対象か、どこがずれたのかを見直します。
もうひとつ。情報を持つ人、資源を決める人、組織を変えられる人が別々なら、引き渡しの条件と期限を決めておきます。センシングの担当者に全社変革まで背負わせる設計では、途中で止まるのが自然です。
ダイナミックケイパビリティで組織の停滞を見つける点検項目
点検では、変化の情報が「採否と資源配分」を経て「役割や資産の変更」まで到達したかを、案件単位で確かめます。 これは、関係者への聞き取りや決裁履歴で確かめる仮説をつくるための整理です。
センシング、シージング、変革のどれかに詰まりがあると、変化への対応はそこで止まります。次の問いに、抽象論ではなく具体的な案件名で答えられるかを確認してください。
センシングが止まっていないか
- 顧客・技術・競合・規制の変化を、どの部署がどの頻度で持ち寄っているか
- 事実と解釈が分けて示され、解釈が外れたと分かる情報もあるか
- 既存顧客の声だけでなく、まだ顧客でない企業や社外の専門知識への接点があるか
- 一度否決したテーマを、環境変化に応じて再評価する経路があるか
シージングが止まっていないか
- 機会を選ぶ責任者と、資源配分を決める責任者が明確か
- 採択時に、投入する人員・予算・期間・判断日が決まっているか
- 既存事業の売上予測と、探索段階の学習結果を同じ基準で比べていないか
- 見送った案について、理由と再検討の条件が残っているか
変革が止まっていないか
- 検証結果を受けて、権限・評価・業務・資産のどこを変えたか
- 内製に固執せず、提携・外部人材・技術導入を検討したか
- 新規事業が既存部門へ移るとき、顧客対応と損益の責任を誰が持つか
- 変更後の結果を観察し、次の判断へ戻す担当者がいるか
「外部環境の変化が速いから動けない」だけでは、原因は絞れません。どの案件が、どの判断で、誰の決裁を待っているのかを、案件の記録、関係者への聞き取り、決裁の履歴から確かめます。そのうえで、能力・制度・案件固有の制約のどれを変更すべきかを判断します。
ダイナミックケイパビリティ導入時に起きやすい誤解
避けたいのは、変化の回数や経営者個人の即断を、ダイナミックケイパビリティの強さとみなすことです。 理論の定義から外れやすい運用を挙げます。
環境変化への即応を、判断の速さだけで測る
即断しても、情報が偏っていれば機会を外します。何を根拠に選び、どの条件で判断を見直すかを決めておきます。速度は結果であって、定義ではありません。
新規事業部門だけの能力として扱う
新規事業部門が変化を捉えても、予算・人事・知的財産・営業・開発の判断が動かなければ、変革には届きません。部門をまたぐ意思決定と資源の移動が必要です。
組織変更の回数を成果にする
部署名を変え、会議を増やしても、提供価値と資源配分が変わらなければ再構成とは呼べません。何を変え、どの制約を解消したのかを案件単位で確認します。
3つの能力を直線的な一回の工程にする
センシング、シージング、変革は、企画から導入まで一度だけ通過する段階ではありません。提携交渉で新しい制約が分かれば機会の捉え方を変え、事業化後に顧客の行動が変われば資産を再び組み替えます。この反復を回せる状態が、能力と呼べる状態です。
外部支援を検討する条件
対象領域の実務経験者や、まだ顧客でない企業との接点を社内で確保できない場合は、社外人材との対話やコラボレーションを検討する余地があります。 機会を選んだ後も、検証設計・社内調整・実行運用を続ける体制が足りないなら、SpreadyのBPaaSを含む外部支援が次の選択肢です。
外部へ任せる範囲は、足りない能力から決めます。接点の形成だけが不足しているのか、検証の運用まで必要なのかを分けてください。そのうえで、機会の採否、機密情報の開示、予算、契約、継続・中止の判断は自社が持ちます。外部支援を使うこと自体は、成果ではありません。
まとめ|変化を見つけ、選び、組織を変える
ダイナミックケイパビリティとは、環境変化を感知し、事業機会を選び、実行に必要な資産や組織を組み替える能力です。
通常能力が現在の事業を安定して動かす力であるのに対し、ダイナミックケイパビリティは環境変化に合わせて能力の組み合わせを更新する力を指します。両利きの経営は探索と深化の運営を、ダイナミックケイパビリティは変化に対応する能力を捉える理論です。
自社で使うときは、進行中の案件について、変化の根拠・採否・資源配分・変更した仕組みを一つの記録で追ってください。停滞している箇所を見つけても、能力の弱さと即断しないこと。予算、規制、技術成熟度、優先順位といった案件固有の要因も含めて、原因を確かめるところから始まります。
